端境を抜ける風

小説
yeon woo leeによるPixabayからの画像

彼が歌う。
その歌にあわせて神様方の力が一本づつ撚り合わさり、更に暖かな光となり大きくなってゆくようだった。
見ていて綺麗だなと思う。
清いとは言えない存在だけれど、人間にも意味はあるんじゃないのか。
…そう思った。



お母さんはとても苦しんでいる。
時々息をこらえながら、体をまるめて寝込んでいた。
ふかふかの草の上、寝込んだお母さんを囲んで、神様方が話し込んでいる。

周りをぐるぐる回っていた僕に、神様方は、ゆっくり説明してくださった。
そなた達がお使いと呼ばれることは、知っているね?
神の使いということだ。
私達は、人の目には見えない。
でも、そなた達は、見える人間には見える。
一般的には狐の姿に見えるらしいから天狐とかお狐様とか人間には呼ばれるね。
神と人間は住んでいる側も違う。
が、そなたらはどちら側にも行ける種族だ。
そなたのお母さんは、風として人界を渡っていた時、酷い悪意を浴びたのだ。
その悪意は、勿論、人から人へだったのだけれどね。
たまたま、そこを吹き抜けていて、直接傷を負ったのだ。
悪意があまりに複雑で強い為に、私達一人一人の力では治しきれない。私達が使えるのは、自分の力だけだからね。
私達の力を拠り合わせる力が要る。
その撚り合せる力を持つのは人間だけなのだ。
だれか癒しを行える人間を迎えにいかねばならない。
今、そなた達の仲間をあたっているが…。

僕が行くよ!
叫んだ僕の手をお母さんは摑んだけれど。神様の一人がそっとその上に手を重ねてほどいた。
あの子が最適だよ。想いが強い程、人には見える。こちら側に入ってくるのは、人間にとっても冒険だ。願いが強い方が、相手にも響く。
あの小さな林に入って行きなさい。人を良く見るんだよ。そなたが見えて、放つ気が暖かくしっかりした人に頼むのだ。けして黒い人間に寄ってはいけないよ。

その林の中の小道を駈けて行くと、なんだか空気が少しづつ変わっていって、僕の足は止まりかける。それでも歩き続けると、突然シャボン玉の様な感覚がぱんと弾けて飛んだ。
目をしばたいてしまう。なんだか光が違う。空気の匂いが違う。立っている木々は同じなのに、見慣れない小さな建物があり、明るい昼なのに小さな小さな白いろうそくに灯りが並んで光っていた。


「おや、珍しい。お使い様だ」
目の前の鳥居へと続く砂利道の反対側から、小さな声が聞こえた。
石台の上から、本を閉じながら、男の人が立ち上がるところだった。
僕の知識は、お母さんが向こうで蜃気楼として見せてくれたものしかない。
それでゆくと、この人間は子供ではない。でも、大人というにはなにかが妙だ。
…きっと、僕くらいに違いない。
この子、いや彼は黒いのか?
頭を悩ませていると、彼の方から話しかけられた。
「小さなお使い様かな。迷ったのかい?」
失礼な、そなたではないぞ、と思う。でも声は暖かかった。心に引っかかる所がない。なにか安心出来る。
その笑顔が優しかったからかも知れない。

話を聞くと、その子は唸った。
「神様の眷属に効く薬…。いや、薬はいいのか。しかし、お札も違うような…」
なにも持ってこいとは言われなかったのだね?と確認される。
そして、僕をじっと見た。
なんだか僕は真率にならなくてはならない気がして、背筋をのばした。

「…野狐には見えないな」
彼は息を吐く。
「僕は直樹と言うんだ。僕で良いかい?僕ならすぐ動ける。お昼休みだからね。薬を扱う仕事をしているんだ、薬剤師という。でも、弱いよ。先輩、もっと強い人は、今忙しくて動けないんだ。隣に大きな白い建物が見えるだろう?あそこでお医者さんをしていて、受付患者がたくさんいるから。うかつに割り込むと食いつかれると思うな。動ける迄待っている?」
僕は彼に決めた。なぜだか迷わなかった。

僕達の林の中へと抜ける道の始まりは、こちらでは、お社と言うらしい。
彼は意識的に息を吐きながら、そこを通り抜けた。
僕たちの側の林を抜けしばらくすると、彼は立ち止まる。
「すまないけれど、お母さんをここに連れてこれる?僕は、人間は、ここまでしか行けないんだ。あちらは神々のおわす処だろう?そこに人間は入れない」
その声が終わるやいなや、ふうわりと目の前にお母さんが現れる。

「僕が来ました。大丈夫です。必ずなんとかします」
お母さんは小さく頷く。
直樹は静かに神々の世界に頭をさげると、お母さんの前に跪く。片手を体に触れる直前の位置に浮かせながら撫ぜる様にうごかしていった。色々な言葉を歌いながら。
歌はどんどん変わって行く。歌が変わるにつれ、風の様に纏わりついてくる神様方の力が増えていった。
最後に落ち着いたらしい歌を聴きながら、僕はああと頷いた。
時々、こちらの世界迄聞こえてくる歌だ。
言葉や旋律は違うけれど、間違いない。
神への歌だ。


直樹は帰ってゆく。この世界にも長くはおれないそうだ。
「僕は、あちらの住人だからね」
多分向こうに、友人がいて大切な人がいて、彼の世界があるという事なのだろう。
お母さんが水盤で姿を見送ってくれた。
境内で、直樹はもう少し年配の男の人に小突かれている。そっちの男の人の方が断然かっこいい。でも、直樹もああ見えて、お母さんに対していた時はとてもかっこ良かった。
「まあ。当麻の若の後輩なのね。どうりでしっかりされておられた」
「知っているの?」
「術師ですよ。陰陽師という。神様と人間の間の仕事をされているの」
その人は笑うと直樹の肩を一度叩いた。
「なんだい、やっぱり子供じゃないか」
お母さんは笑っていた。
「失礼ですよ。多分20代前半でしょう。あなたよりずっと大人ですよ」
「たった20!僕200年前の人間を知っているよ」
「…まあ、その言葉を笑ってくれる程には、充分大人でしょうよ、彼は」
感謝と苦笑が入り交じった声に言う。
「直樹って言うんだよ」
「名乗ってもらえたの?そう…」
信頼してもらえたのね。
その言葉が僕は嬉しかった。


僕らはまた会うだろう。
僕はぽんと風に乗ると駆け出した。