日常のあれこれ1

小説
Elena RozzuvaevaによるPixabayからの画像


「姫の体調がまた悪くなられた様子で、今日の服はどう致しましょう…」
中庭の一つに面した廊下の先に二人の古参の女房である。まだこの宮に入ったばかりの新人である自分が言葉をさし挟んでも良いか迷いながら、紗華は小さな声をかけた。
「もし、宜しければ私が姫様のもとに伺いましょうか」

「貴方が来たのね」
失礼致しますと声をかけて主人の寝室に入ると、ベットに横たわった彼女、紗華の主人・イリス、は小さく笑った。
イリスは一族の中では少々異質だ。まず名のある血族に属していない。それにも関わらず能力は超一流で、努力と人柄で一族の最高位の役職に推された。能力が血筋に依ることが大きい一族の中で、これは特例と言って良い。
勿論、本人が望んだわけでもないことは、近しい人なら誰でも知っている。一族の役職など、上がれば上がるほど、激務の中の激務となる。いわゆる三大公家なら覚悟もあろうが、一般の人となれば誰がやりたいだろう?
勿論イリスもまっぴらだった。ただ己がすべきことを全力でやっていたら、なぜかのっぴきならぬ立場になってしまったのだった。
無能者は一族で生きては行けぬ。と思ってはいたが、では能力がある者がどうなるか…という真の恐ろしさを彼女は知らなかったのだ。
それゆえ、彼女の宮は少々特異なものになった。軍でいう蒼家の第7艦隊の様なもの…つまり正規軍に入れないほどの自由さではあるが、職能は優秀すぎて見逃すにはあまりに惜しい人材を確保する場…イリスの宮の場合は有力な血筋に生まれなかったいう意味だが、になっている。

その中で紗華は初めての有力な血筋の娘となる。彼女自身がイリスの在り様に憧れたのが一番だが、それ以上に母に、血族の宮に仕えさせろという圧力を蹴れる程の力があったことも大きいだろう。
そして、なぜイリスが名家の血を受け入れたのかも。
紗華は初めてイリスに憧れたのが自分だったとは思えない。ただ、イリスが受け入れなかったのだ。

宮に入る、つまり女房になるということは、一族においては主人のブレインになり実行部隊になるということである。主人のあらゆる仕事を支え、そして身の回りのことも務める。

ただ、ここにもイリスの宮、のさじ加減がある。三大公家(つまりイリスの同僚だ)の宮なら服装から何から女房の勤めになるが、イリスは元が、今もというべきか、一般人だから服装は自分で決めて自分で着てしまう。

それで問題があるわけではない。主人の趣味の良さは万人の認めるところであるし、好みも決して固いのは好まないが奔放なものは論外という正統派だ。
困った事態になるのは、その主人が激務で倒れてしまった時である。勿論休む服に困りはしないが、そういう時にも仕事は押し寄せるのだ。

精鋭ぞろいの女房達に、服の知識など造作もない。ただ、こういう時は感性である。正解ではない。そもそも正解なぞない。
気力・体力がみなぎった時に実に似合う服がある。また、体調が悪い時には、肌に優しく穏やかになれる服が好ましい。そもそもリボンをきっちり締めるか、緩やかに縛るかに正しいかどうかなどない。
見るものに不安を与えないこと。
それは主人の仕事の一部でもあるのだ。相応しい姿で、当たり前の様にそこにあること…それが相応の力であることはあまり知られていない。

と、なると生まれた時からそういう世界にいた紗華にそれなりの分があるのは仕方なく、また頼りにされる。
「お加減は如何ですか?姫様。今日はどうしても抜けられぬ会議がございますが」
ベッドサイドの椅子に腰掛け、顔色を確認しながら、コップに茶を注ぐ。
「私は、隠居が良いな。100歩妥協して週に二日のパートだ。正職が休みなしとはどういうことだ」
「一年の間には1日くらい休日は取れるかと思われます。ご期待下さい、姫様」

小鳥の声のみが遠く聞こえる、静かな部屋に流れる小さな呻き声を受け流しながら、紗華は細い中でも細い毛で織られた軽く暖かい服を選ぶべく立ち上がった。