「よく来たね。まあ、持ってゆきなさい。美味しいよ」
びっくりした。ぼたもちを前にしたお地蔵さんが、優しい声で話した様で。
勿論、お地蔵さんが話すはずがない。そんな事解っているのだけれど。
優しい声が本当に聞こえた気がしたのだ。心に。
その道を通ったのは、久しぶりだった。芒のなびく野原の中の一本道。
小さな林が近くにある。
私は明後日には6歳になる、もう一人前の働き手だ。
今日も農作業でくたくたになった帰り道。久しぶりにこの道を選んだ。
あ、馬だ。
気付いて、木の陰へと走り込む。
きっと貴人の一行だろう。どうということも、ないのだけれど。
くたくたになった体を、更に竦めるのは、なんとなく嫌だった。
木に隠れる様にして見ていると。
その一行は姫様の様だった。
護衛だろう男の人達と、姫君。
姫様のことなら、皆知っている。
勿論私も姫様とお話した事などないのだけれど。姫が好きだった。
ふんわりと暖かな感じがする。尖った痛さを感じさせない、優しい光。
いつも菜の花色の絹の小袖と白い唐織の帯を締めておられるけれど。
良くお似合いだ。きっと良い薫りがするんだろうなと思う。
私のつぎはぎの綿の野良着やわらじとは、全く違うけれど。
全然僻む気にならない。だって、きっと姫様はそんな事気にもとめない。
この国のお城の大臣をされているのだもの、良い身なりは当たり前だ。
逆に貧祖な品では、周りに馬鹿にされるのではと、こっちが心配になる。
女性の大臣は二人だけだと聞く。色々と大変なんだろうな。
一行は止まると、馬から下りた。
姫が道ばたに膝をつく。
そういえば、あそこには、ちいさなお地蔵さんがいたのだった。
でも、姫様が、ちっちゃな・粗末なお地蔵さんに?
姫は丁寧に頭を下げると、立ち去って行かれた。
皆が見えなくなってから、お地蔵さんに近づいてみる。
なにかが、竹の皮に包まれて置かれていた。
ためらいつつも開けてみたら、入っていたのは、ぼたもちだった。
そうしたら、その声が聞こえたのだ。
お地蔵さんは笑っている。
近くの草の葉がかさこそ鳴って。持っていけって唱和している様だった。
ぼたもちは、甘かった。
なぜだか涙が出て止まらなかった。
別に哀しかったわけではない。
私が役にたったからではない。こき使ってやろうと思われたわけでもない。
良い子でいたわけでもない。
なんの利益もない・ちびに、お地蔵さんが笑ってくれた、甘いぼたもち。
私は一人でしばらく泣いていた。
明くる日も、その道を通って家にかえろうと思った。
そうしたら、今日も姫様はその道を通られた。
お地蔵様に頭を下げ。
そしてなんだか、とても嬉しそうに微笑んでいた。
後から行ってみると今日もぼたもちが置いてある。
やっぱりお地蔵さんは笑っていた。
そして、今日は年の瀬。
あれから、毎日姫はあの道を通り。
ぼたもちは、時々、きなこがまぶしてあったり、桜色と・白と・緑のお団子になったりしながら。
毎日お供えされていた。
ただ、時刻が少しづつ遅くなる。
「戦になりそうなんだよ」
お父さんが話していた。
「戦をしたがっている大臣がいらっしゃる様なんだ。それで連日の会議で、姫様も自由に動けないらしい。今迄1日1度は、外を回られていらっしゃったのに」
「戦になるの?」
「さあねえ。姫様は反対されていらっしゃるそうだが。姫様にまかせれば良いのだよ。誠実でありながら策略を自在に操る事、姫様の右に出る者はいないという話だ。ただなあ…」
「ただ?」
「姫様は、金にはならんからなあ。強欲と虚勢は、姫様と縁がない。そして戦はその固まりなんだ」
お父さんの話は良く解らない。それでも姫様が頑張っているのは解った。
きっと、姫様は喜んで下さる。
そう思うと心が弾んだ。
姫様は笑って下さるだろうか。
隠れた様に立つ白梅の枝を一本手折る。
咲きかけた莟から、良い薫りが匂いたった。
この紅の国の皇宮は、柱は紅く、壁は夜目にも白い漆喰で。
詩に歌われる程の艶やかさ。
その宮の一隅にある彼女の部屋へと。会議が終わってから招かれた。
時は、鐘の音がもう直き百八つ。
「こんな年の瀬の、夜の夜中迄会議!」
会議は踊るよと、歌いながら彼女は私を連れ、自室の扉を開けた。
彼女はいつもの、菜の花の色の小袖と白の唐織の帯。上に福寿草の色の打ち掛け。
私は彼女の、幼なじみで、皇宮の大臣という同僚で、年も性別も同じだ。
が、性格は全く違う!と、親友としては強く主張しておきたい。
そのぐーたら者、私の私見だが、が庭に続く縁側を開けたのは驚いた。
空調は入っているとはいえ、外は十二月の深夜だ。
私の生息地は温帯であるというのが、彼女の口癖だ。
その割には、極寒や酷暑の地に頻繁に出かけるが。
それは、やまれぬ事情とやらの為らしい。
人生は事情の山だ。
しかし、今の事情はなんだ?
「寒くないか?」
彼女は、こちらを振り返るとにこりと笑った。
「お方々が、人の煩悩を消そうと頑張って下さっている。鐘も奮闘している」
視線を庭へと戻す。
そして言った。
「お守りは要らぬか?」
百八つの鐘が鳴る中、彼女は小箱から小さなカット・グラスの小瓶を2つ取り出した。
そのまま庭に出ると、流れる小さな川の水面を歩き。月の映った水を掬った。
…水面を歩いて?
思わず口に含んだ酒を抑える。
「はい。お守り。短い時間しか効かないけれど」
「今、水面…」
困った様に笑う。
「百八つの鐘の残響から次の年迄は。月の姫が煩悩を抑えてくれる。月の守護下の世界。
だから、多少の事は、月の姫にあやかれる」
…水面を渡るのは、多少か?
彼女は小瓶の一つを私に渡しながら、告げる。
「その姫の力を映したものだからね。なにを祈る?」
「夜分失礼致します。姫様」
側使えの女房から渡されたのは、白梅だった。
咲きかけの蕾みから良い薫りが夜の闇に漂う。
戸に挟まれておりまして…。
彼女は微笑むと、自分の小瓶にその白梅を挿し呟く。
「有り難うございます。有り難うね」
白梅はどこから来たのか。
呟きは、どこへ消えるのか。
神に向けた捧げものは、やがて人へと返される。
幸多かれという祈りすら、神は、持ち去ることはない。
…ふと温もりを感じた。
この新年の少し手前の闇の中で。