「何かございましたの?先ほどから笑いを噛み殺されておられますが」
翌日の同僚達との打ち合わせ、その開始時刻前に尋ねられた。
昼時を過ぎた穏やかな陽が差し込む静かな部屋である。
「…昨日、花束が廻りましたでしょう?それで姫様が…」
手に取った筆をくるくる回し、笑い顔を殺そうと努力はする。
「ああ。折角の猫を…ですか。でも、別に姫様は猫を被っておられるわけではなくて、あれは素でございましょう。姫様の内面から自然に出ておりますもの。何を姫様は勘違いしておられるのでしょう?」
思わず笑い声が弾け、居合わせた女房達の視線が集まる。
「だから、姫様は自分をそう思いたいのですよ。ちょっとワルだよと。私は見てくれよりも悪いんだと。本当にお若いったら!!!」
だめだ。笑いが止まらなくなる。
「別に火の姫も姫様の猫かぶりを笑っているわけではないと思うのですよ。ただ姫様が、そう想像して怒っておられるだけです。私は実はワルなんだよと思いたがっているから。願望の自分を笑われている気持ちで傷つくのだわ」
「解る解る。つまり姫様の憧れは燐の姫よね」
燐の姫とは、巷で評判の小説のメインの一人で、悪ぶる理想高き美しい姫である。
暖かな日差しの中に優しい笑い声がさざめく。
「そうそう。悪ぶれる機会が目の前にあると、実に残念という目をされるわ」
「でも、あれだけ腹痛に悩まされながら。なびく事、己の打算だけを考える事、隷属する事がいかに容易い事であるのが、さっぱり実感されないのね。知らないと言い放つ事、悪ぶるたやすさが解られない。因果なご性格よねえ」
「ね?ね?もうじき姫様のお誕生日。燐の姫のメレンゲのお菓子を作りません?」
「素敵」
「姫様、真っ赤になられて怒られるわよ」
「そうかしら。内心、とても喜ばれると思うわ」
「ところで新刊が出たの、姫様はご存知かしら?」
女房達のスキップしだした会話は止まらない。
「これ、何を姫様が後々黒歴史と恥じる事を」
ここで止めるのは、姫の母の宮から、姫の宮立ち上げ時に移ってきた目付役の女房である。
「申し訳ございません。ただ黒歴史の一つもなければ、姫様の人生も楽しくないのではと愚考いたしまして」
「そうですとも」
どうやら無駄のようだ。まあ、黒歴史に実害があるわけではない。多分。
密やかにはしゃいだ会話は、打ち合わせ開始時刻まで止まらない。目付の女房は窓の外、高く澄んだ青い空へと視線を移す。
彼女は勿論、赤ん坊の頃からの姫を知っている。
この女房達の会話を聞いたら、旧主のご苦労もしみじみ報われるだろうと思うと感慨がことさら深かった。