浅野 薫

小説

その声を滄浪に聴く 3

暫くのちにイリスは、何の気なしに再び渡った。その気はなしにとは言うものの、あの歌声がもう一度聞きたかった。かの地は変わらず緑が多いものの、広い道には石畳がひかれ、あちこちに家がたち、若い人達の静かな賑わいが漂っていた。もう400年は経つのか...
小説

その声を滄浪に聴く 2

「...落第」そのなんとも言えない柔らかさそのものの猫が、先日書いた魔法陣をしげしげ見た挙句発した言葉のようだった。「それで?」彼女は一言も聞き漏らすまいと、膝をつき頭を下げて耳をそばだてる。「どうしたら?」必死の思いのこもった声。その目を...
小説

その声を滄浪に聴く 1

「残っている声?」「はい。王が消えた時に響いた音が残っているのです。滅多にないことですが。それを聞いて頂けませんか?」「別に私が聞かなくても。その音を遡れば主に辿り着けるでしょう」「やりましたとも!そして追って行った者達は誰も帰ってこなかっ...
小説

水の回廊

その音は密やかに清く淡く消える。どこからか聞こえたと思い、振り返る音のように。それが良いのですよ、とイリスは微笑んだ。訴えることなく、引きずることなく。その張られた絹糸が奏でる音は優しい。「貴方様の好みですよね」「下々の音ということですか?...
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木漏れ日 日常のあれこれ2 後日談

「何かございましたの?先ほどから笑いを噛み殺されておられますが」翌日の同僚達との打ち合わせ、その開始時刻前に尋ねられた。昼時を過ぎた穏やかな陽が差し込む静かな部屋である。「...昨日、花束が廻りましたでしょう?それで姫様が...」手に取った...
小説

日常のあれこれ 2

ふわりと宙に花束が現れた。彼女はそれを自然に降ろすと、腕に抱く。様々な華の新鮮な香りが響きあい、部屋の空気が朝焼けのように澄んだ。そうして彼女は眉を顰めたのだった。ごく当たり前の主人の動作として、気にも止めていなかった女房がその気配に視線を...
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夜を渡る羽音

幾千羽の蝶が闇の中を群れをなして飛んで行くのを、彼女は感じた。無数の聞こえるはずのない羽音が聞こえる。月は雲に隠れ、天空に光はない。灯りと言えるのは、彼女が持っていた手灯りのみだ。それでも、その蝶たちの羽が鮮やかに黒く光るのが解った。都の大...
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夜に薫る白梅

「よく来たね。まあ、持ってゆきなさい。美味しいよ」びっくりした。ぼたもちを前にしたお地蔵さんが、優しい声で話した様で。勿論、お地蔵さんが話すはずがない。そんな事解っているのだけれど。優しい声が本当に聞こえた気がしたのだ。心に。その道を通った...
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端境を抜ける風

彼が歌う。その歌にあわせて神様方の力が一本づつ撚り合わさり、更に暖かな光となり大きくなってゆくようだった。見ていて綺麗だなと思う。清いとは言えない存在だけれど、人間にも意味はあるんじゃないのか。…そう思った。お母さんはとても苦しんでいる。時...
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かの人によせて

「幸せでしたか?」初めて聞く彼女からの声だった。呼ばれた気がして、目を開く。薄暗い病室の夜。月明かりが僅かに入る病室で。腕に刺さる点滴。簡素な柵のベッド。外は風が強いのだろうか、窓からは尚暗い影が揺れる。こんなにはっきり見えたのは、何日ぶり...